経口補水液の起源
最近になって日本でも熱中症による脱水症の治療用として経口補水液を見かけるようになりましたが、
経口補水液の歴史は意外と古く実は1970年代に開発途上国で考案された飲み物です。
当時の開発途上国では子供たちにコレラ感染症が広まって激しい下痢や嘔吐の結果、
脱水症で命を落とす子供が続出しました。
しかし開発途上国では医療設備が整ってないので脱水症に対する迅速な治療ができない状態でした。
そこで母親たちが穀物や果物をいろいろ混ぜ合わせて工夫を重ねた結果、
最も脱水症に効果がある組成にたどりつきました。
その飲み物が経口補水液です。
日本に経口補水液が広まったのはつい最近のことですが開発途上国よりも遅れて広まった理由は、
日本は医療設備が整っており、
脱水症になっても点滴治療(輸液療法)が受けやすい環境にあったからです。
ただし日本にも以前から体調不良のときには経口補水液と同じようなものがありました。
日本の家庭では昔から風邪をひいたり、
食あたりをしたりしたときに“重湯に塩をまぶす”とか“梅干しをのせて食べる”という習慣がありました。
この習慣から病気により失われた水分を補うために、
水と塩分を補給するという経口補水液の理論がごく自然に行われていたことがうかがえます。
また沖縄や奄美地方のように蒸し暑い時期が長い地域に住んでいる人たちは、
仕事の合間にお茶やお水をたくさん飲みながら休憩していました。
この時さらに塩と黒砂糖をつかったお菓子や食材などをおやつとして一緒に食べる習慣もみられました。
この状況は水分吸収には塩分と糖分がともに必要であるという経口補水液の理論そのものです。
私たち日本人もまた気がつかないうちに、
経口補水液の理論の恩恵にあずかっていたということになるかと思います。